国賠地裁判決目次国賠控訴審第二次文書提出命令申立却下決定国賠控訴審第二次文書提出命令許可抗告審決定最高裁逆転無罪判決解説

当事者


主文

一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
 

事実及び理由

第一 請求

 被告らは、原告に対し、連帯して1100万円並びにこれに対する
  1 被告国、被告B、被告E及び被告Dにおいては平成3年2月2日から、
  2 披告C及び被告Fにおいては同月3日から、
  3 被告Aにおいては同月4日から、
それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二 事案の概要

 本件は、昭和50年12月、新潟県の国道49号線を新潟市方面から会津若松市方面に向かって原告運転の車両が進行中、轢き逃げ死亡事故を惹き起したとして、第一審及び第二審で有罪判決を受けながら、上告審の最高裁判所で逆転無罪の判決を受けた原告が、右逆転無罪を得るまでの14年間に被った損害(合計金1100万円)の賠償請求訴訟として、国に対しては国家賠償を、起訴検察官並びに第一審及び第二審の担当裁判官らに対しては個人の賠償責任をそれぞれ求めて提起した事案である。


第三 争いのない事実等

一 当事者等

1 原告は、昭和30年1月31日生まれの男子であり、昭和50年当時、運送会社の貨物自動車運転手として勤務していたところ、新潟県津川町で発生した後記轢き逃げ事故(以下「本件事故」という。)について、事故発生時刻ころ貨物自動車(以下「原告車両」という。)を運転して同地点を通過したことにより、本件事故の加害者の嫌疑を受けて取り調べられ、その結果、被告人として、左記のとおりの刑事裁判を受けた。
(一)昭和52年2月12日、新潟県地方検察庁により、業務上過失致死被告事件の罪名をもって起訴される。
(二) 裁判について(1) 昭和57年9月3日、新潟地方裁判所の第一審(以下「本件一審」という。)において、禁錮六月執行猶予二年の有罪判決(以下「本件一審判決」という。)を受ける。
(2) 昭和59年4月12日、東京高等裁判所第四刑事部の控訴審(以下「本件二審」という。)において、控訴棄却の判決(以下「本件二審判決」という。)を受ける。
(3) 平成元年4月21日、最高裁判所において、破棄自判による無罪の判決(以下「本件無罪判決」という。)を受ける。

2 被告国は、検察官の行う捜査及び訴追並びに裁判所の行う裁判について、責任を負う立場にある。

3 被告A(以下「起訴検察官」という。)は、新潟地方検察庁検察官事務取扱副検事として、原告に対する公訴を提起し、本件一審での公判立会検察官は、第1回公判から第10回公判までを村山創史検事が、第11回公判から第21回公判までを河村博検事が、第22回公判から第32回公判までを赤松幸夫検事が、それぞれ務めた。

4 被告Bは、本件一審の裁判長として、被告Cは、同じく右陪席裁判官として、披告Dは、同じく左陪席裁判官として、原告に対する審理に関与し、原告に対して本件一審判決を言い渡した。

5 G(平成3年12月25日死亡により、本件訴え取り下げ)は、本件二審の裁判長として、被告Fは、同じく右陪席裁判官として、被告Fは、同じく左陪席裁判官として、原告に対する審理に関与し、原告に対して本件二審判決を言い渡した。

二 本件事故発生から最高裁での本件無罪判決に至るまでの事実の経過

  1 昭和50年12月20日午後9時23分ころ、新潟県東蒲原郡津川町大字津川3445番地先の国道49号線(以下「本件国道」という。)路上において、飲酒酩酊し、路上に横臥していた伊藤力(当時40歳、以下「被害者」という。)が新潟市方面から会津若松市方面に進行した車両に轢き逃げされ、即時同所において死亡する交通事故が発生し、直ちに捜査が開始された。

  2 原告車両は、本件事故現場を通過後、そのまま、本件国道を会津若松市方面に向かって走行し、同日午後9時55分ころ、右事故現場から約26キロメートルほど会津若松市方面寄りの地点にある福島県警察喜多方警察署西会津派出所(以下「西会津派出所という。)前で本件事故の轢過車両発見のための交通検問(以下「本件検問」という。)を受けたが、異常なしということで通過を許され、宮城県志田郡松山町の自宅に帰った。

  3 新潟県警察津川警察署(以下「津川署」という。)が、右検問の記録(以下「本件検問記録」という。)に基づいて、関係警察署にいわゆる車当たり捜査を依頼したことから、本件事故の2日後の同月22日に宮城県警察岩沼警察署(以下「岩沼署」という。)の警察官が、原告の当時の勤務先である日本防火ライト工業株式会社仙台工場(岩沼市内所在、以下「防火ライト」という。)及び岩沼署において、原告車両を見分した結果、その右後輪タイヤ外側面に幅約20センチメートル、長さ約19センチメートルの血痕様付着物(以下「右後給付着物」という。)が発見された(ただし、本件無罪判決の認定した事実と異なる事実を主張しない旨を一貫して述べてきた被告ら主張と異なって、その具体的時間及び場所については争いがある。)。

  4 原告は、翌23日、岩沼署において、本件事故の被疑者としての取調べを受け、さらに翌々24日には、現地の津川署において、原告立会のもと実況見分が行われ、引き続き、被疑者としての取調べを受けた。

  5 その結果、原告は、昭和51年3月4日、新潟地方検察庁に在宅のまま送致された。

  6 その後、原告は、同年12月6日、現住所地に近い仙台地方検察庁古川支部からの呼出しを受け、被疑者として取調べを受けた。

  7 起訴検察官は、昭和52年2月12日、原告を新潟地方裁判所に在宅のまま公訴提起した(以下「本件公訴提起」という。)。

  8 本件一審判決後、控訴審で本件二審判決を受けた原告は、これを不服として、最高裁判所に上告を提起したところ、最高裁判所第二小法廷(以下「本件上告審」という。)は、平成元年4月21日、本件無罪判決を言い渡し、同判決は平成元年5月2日確定した。


第四 争点

 一 本件公訴提起及び公訴追行の違法性の有無
 二 国家賠償法の対象としての裁判の違法について
 三
1 本件一審判決の違法性の有無
2 本件二審判決の違法性の有無
 四 公務員(起訴検察官及び本件一、二審担当裁判官)の個人責任の有無
 五 損害額

作成責任者:町村泰貴
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