国賠地裁判決目次国賠控訴審第二次文書提出命令申立却下決定最高裁逆転無罪判決解説

第五 争点に対する双方の主張の要旨

 一 争点一(本件公訴提起及び公訴追行の違法性の有無)について

(原告の主張)

 起訴検察官及び公判立会検察官らは、捜査並びに公訴の提起及び追行等の過程において、以下に述べるように、原告に対し、違法な公権力の行使をしたことは明らかである。

1 本件公訴提起の違法性

(一) アリバイが成立することを見落とした

 本件公訴提起にあたり、起訴検察官の手元には警察の捜査に基づく次のような証拠資料があった。

 原告の司法警察員に対する50・12・23付供述調書(以下「50・12・23員面調書」という。)には「新潟方面から会津若松方面へ向かい雄川町の市街地を走っていたときバスとすれ違った」との記載、50・12・24付の津川署司法警察員渡辺良夫作成の実況見分調書には「バスとすれ違ったとき左前方に阿賀の川タクシーの看板が見えた」との記載、同日付原告の員面調書には「バスとすれ違った場所は左側に阿賀の川タクシーの看板があった」との記載がある。

 他方、本件国道を会津若松市方面から新潟市方面に進行して本件事故現場を通過した新渇交通の定期バス(以下「バス」という。)の運転手斎藤操(以下「バス運転手」という。)の50・12・26付員面調書には、「20日午後9時24分津川駅着の最終定期バスを運転して現場に差しかかり、徐行してセンターラインに男が倒れているのを見た、対向したタクシー運転手も徐行して見ていた、センターラインのところなので危なくないと思い通り過ぎた」旨の記載がある。

 ところで、「阿賀の川タクシー」の看板のある地点は、原告車両の進行方向であって現場から130メートルほど会津若松市寄りに行った地点である。

 右の各員面調書と実況見分調書の記載を照合すれば、本件事故は原告車両が現場を通り過ぎた後に発生していることになり、原告にはアリバイがあることになる。

 にもかかわらず、起訴検察官は、右アリバイ成立を看過し、バス運転手や原告に対しこの点の疑問を質すこともせず、有罪の判断に立った場合には証拠上顕著に存在する矛盾を放置し、漫然と本件公訴を提起した。

(二) 右後輪付着物の付着メカニズム(付着機序)の科学的検討を怠った

 本件公訴事実は、「被告人車が時速約40キロメートルで進行し、その右後輪で進路上に横臥していた被害者の頭部、胸部等を轢過した」というものであり、原告車両右後輪タイヤ外側面に付着した血液様のものの存在が証拠として上げられていたが、時速約40キロメートルで進行する車両が路上横臥者を轢過した場合、どのようなメカニズムをもってすれば右後輪タイヤ外側面に横臥者の血液が約19×20センチメートルの大きさに付着し得るのか、そこに疑問を入れる余地が十分にあったにもかかわらず、起訴検察官は、その付着メカニズムについて、物理的・工学的観点からする科学的な検討を加えることを怠った。

 そして、右後輪付着物が本件事故によって付着した被害者の血液であると即断し、漫然と本件公訴を提起した。

(三) 轢過態様の合理性につき検討を怠った

 本件公訴事実に記載された轢過態様と起訴検察官が本件公訴提起時に保有していた証拠資料を前提にすると、本件公訴提起時に起訴検察官が考えた轢過態様は「路上に横臥していた被害者は左右の前輪に轢過されることなく、原告車両の車体下部に巻きこまれて中央部のラジエーターガードに接触しその際ポロシャツの布目痕を残した、その後被害者の身体が頭部を車体下方向に、下肢を車体外方向に向けて横たわった状態にあるとき、頭部から上胸部までをその右後輪で轢過した。」ということになるが、しかし、布目痕が付着したとされる高さに横臥中の被害者がアノラックの下に着用していたポロシャツが接触したとは考えられないし、一度車体左右前輪の中央部まで巻き込まれた身体が、右後輪に轢過される前に身体の下胸部から身体、足までを車体下部外に移動するということは容易に考えられない。

 また、横臥中の被害者を直進車が轢過したという前提にたちながら、右後輪のみによる轢過という不合理な轢過態様を採用している。

 このように、起訴検察官は、本件事故の轢過態様の合理的検討を怠ったまま漫然と本件公訴を提起した。

(四) 右後輪付着物が本件検問時に発見されないことが意味することの検討を怠った

 原告車両は、本件事故発生後、約30分経過したころ、本件検問を受けている。右後輪付着物が、そのタイヤ外側面に約19×20センチの範囲にわたり付着していたのが事実であれば、事故からわずか30分程度しか経過していない本件検問において、二人の警察官がこれを見落とすことがあるのかという疑問を抱くのが当然である。ところが起訴検察官は右後輪付着物が警察官に発見されないまま本件検問を通過したという不合理さと不自然さについて、納得できる合理的理由の検討を怠ったまま漫然と本件公訴を提起した。

(五) ポロシャツの廃棄処分について

 起訴検察官は、被害者の着衣は本件において最重要な物的証拠の一つであったのに、その証拠を十分検討しないばかりか、その着衣が焼却処分されているにもかかわらず、その後の充分な捜査を尽くさないで、漫然と本件公訴を提起した。

(六) 原告の供述調書に対する検討の懈怠等

 原告は、50・12・23付及び50・12・24付の各員面調書において「現場を走行中に衝撃を受けた」旨の異常な走行体験の供述(以下「異常走行体験供述」という。)を行っている一方で、本件公訴提起の二か月前の仙台地方検察庁古川支部検察官事務取扱副検事鈴木一二作成の51・12・6付検面調音(以下「51・12・6検面調書」という。)においては「私はそのような事故を起こした覚えもない」とか、「津川町内でショックを感じたと話したことはいま訂正します」旨を供述し、少なくとも、原告が、本件公訴提起前には、本件事故を起こしたことを否定する方向へ供述を変更していたことが窺えるのであるから、起訴検察官としては、原告に供述の変遷が生じた理由や司法警察員の原告に対する取調べ情況等を検討し、供述内容の真偽等について再考すべきであった。

 そのためには少なくとも起訴前には、原告を直接取調べてその言い分を聴取すべきであったのに、それを怠り、前記二通の員面調書の記載を漫然と措信して本件公訴を提起した。

 これは、告知と聴聞という憲法三一条の適正手続条項の精神にも反するものであり、原告は、起訴不起訴の判断権者から不利益事実の告知を受けて自らの防御のために弁解するという機会を奪われたまま、本件公訴提起という不利益を受けたものである。

(七) まとめ

 検察官は、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑が存在する場合においてのみ、公訴を提起すべき職務上の義務があるのであって、公訴提起時を基準として事後的に審査し、検察官が当該事実の性質により当然なすべき捜査を怠り、証拠資料の収集が不十分なため、あるいはその収集は十分であっても、証拠の証明力の評価の仕方について、通常考えられる個人差を考慮に入れても、その評価、取捨選択を誤るなどして、有罪の判断が行き過ぎで、経験則・論理則上からして、到底首肯できない程度に不合理な心証形成をなし、その結果、客観的に見て有罪判決を得られる見込みが十分とはいえないにもかかわらず、あえて公訴を提起した場合には、当該行為は違法であり、これを行った検察官には過失があるというべきである。

 とすれば、前記(一)ないし(六)から明らかなように、起訴検察官による本件公訴提起は違法である。

2 検察官の公訴追行の違法性

 公訴の追行も刑事事件の各段階における各種の証拠資料を総合勘案し、将来有罪判決を期待しうる合理的な理由があれば、後に無罪の判決が確定したからといって当然に右公訴追行が違法となるものではないが、公訴追行過程において右のような合理的な理由も存在しないのに、あえて公訴の追行を継続していた場合には右行為は違法となる。

 本件公訴提起自体が違法であることは、前記1のとおりであるから、これに引続く公訴追行は、その後、新たな証拠が加わり有罪判決を期待しうる合理的な理由が具備されるに至るなど、特段の事情が認められない限り、その追行もまた違法を免れない。

 本件一審の審理経過に従い、公判立会検察官の公訴追行の違法性について検討すると、まず公判立会検察官としては、公判開始前に本件公訴事実と証拠関係を検討することにより、前記1(一)ないし(六)のような矛盾に気づいたか、もしくは、気づくべきであったのであり、また、本件無罪判決の指摘するところの証拠関係によれば、公判開始から二年後の昭和54年2月までには、原告車両と本件事故との関係を否定する後記船尾鑑定及び江守鑑定も提出されたのであるから、公判立会検察官としては、その時点で有罪の見込みのないことに思いを致し、公訴を取消すべき義務が生じたというべきであり、それを怠り、そのまま公訴を追行した本件公訴追行は、違法な職権行使として国家賠償法(以下「国賠法」という。)上の違法に該当するものである。

(被告国及び起訴検察官の主張)

1 検察官の本件公訴提起について

(一) 総論

 検察官の公訴提起に違法があるというためには、検察権行使の主体である検察官の職務行為の本質ないし特質に鑑みると、犯罪の嫌疑があると判断した検察官の各種証拠資料に対する証拠の評価及び総合的判断が、通常考えられる検察官の個人差を考慮に入れても、経験則・論理則に照らして到底その合理性を肯定できない場合をいうものであるところ、本件公訴提起にあたって、起訴検察官は、それまでに収集した証拠関係に基づいて、本件事故と原告車両との間に、次の(1)から(4)に述べるような状況が認められたために、原告について有罪判決が得られる十介な嫌疑があると判断したものである。

 (1) 原告車両は、本件事故発生の時刻ころ、本件国道を新潟市方面から会津若松市方面に向かって進行し、本件事故現場を通過していた。
 (2) 原告車両は、本件検問記録に基づき、所轄警察署において、その所在調査を受け、本件事故の二日後の車両見分の結果、右後輪付着物が、右前輪ショックアブソーバー下部ステーから被害者と同一の血液型である肉片及び人の眉毛或いは睦毛と思われる毛髪が、更には、ラジエーターガードから被害者の当時の着衣の布目痕が、それぞれ採取された。
 (3) 被害者の轢過態様には、複数車両による二重轢過の痕跡がなく、二重事故の可能性はないものと認められた。
 (4) 原告は、本件事故後、間もない昭和50年12月23日及び同月24日の司法警察員の取調べにおいて、本件事故現場付近で異常な走行を体験した旨供述しているが、その供述は車両の動きを克明にとらえ、実際に体験した者でなければ容易に言い表せないものであり、不自然なところはなく、極めて信用性が高いと認められた。

(二) アリバイについて

 起訴検察官は、本件公訴提起時において、本件事故現場に斉藤操運転のバスが差しかかった時には、本件事故は既に発生していたとの認識を有していた、すなわち、前記(1)ないし(4)のような証拠関係によって、原告に有罪の嫌疑が十分に認められると判断していたことに加え、起訴検察官は、バス運転手の供述は、必ずしも被害者の生存を確認したという内容になっていないことを考慮して、本件事故現場にバスが差しかかった時には、本件事故は既に発生していたと認識したものであり、その認識・判断が前記のとおり総合評価の結果である以上、不合理であるとはいえない。

(三) 轢過態様及び付着メカニズムについて

 本件公訴提起時において起訴検察官は、轢過態様について「路上に横臥していた被害者が、原告車両の車体下部に巻き込まれて右後輪で轢過された」という認識しか有してなく、それ以上子細な認識は有していなかったが、起訴検察官が轢過態様について、正確な把握をするためには、精密な科学技術を応用した鑑定等を経なければ著しく困難であるし、さらに、捜査手法は時代の社会的状況等によって大きな制約を受けるうえ、捜査体制についても一つの事件に割けることのできる人員、時間、費用等には限界があるため、そのような鑑定を依頼するかどうかはその事件の罪種、被疑者の供述内容、他の客観的証拠関係等を総合して決せられるべきであるが、本件では横山修一による鑑定(以下「横山鑑定」という。)がなされているうえ、原告が本件事故後間もないころにした異常走行体験供述があるので、前記のような鑑定を依頼しなかったのであり、そのことが本件公訴提起の違法性を構成するものではない。

(四) 右後輪付着物が本件検問で発見されなかったことについて

 起訴検察官が、本件公訴提起時において、本件検問の際に右後輪付着物を見落としていた可能性があると判断したのは、以下の諸事情によるものであって、右判断は、合理性を肯定できない程のものではない。

 (1) 本件検問では、司法警察員渡辺正紀の本件二審における証言で明らかなように、検問当時、未だ、本件検問に従事した警察官らが事故態様を正確に把握していなかった。
 (2) いわゆる轢き逃げによる死亡事故の場合の多くは、路上を歩行中あるいは路上に佇立している歩行者に車両の前部等を衝突させるという事故態様であるため、単に、轢き逃げ死亡事故との報告しか受けていなかった前記警察官らが、原告車両の前面を中心に見分していることも不自然とはいいがたい。
 (3) 本件検問が夜間である上、車両が停止した際のタイヤの回転停止状況によっては、右後輪付着物の地面からの高さ等に違いが生じ、それが懐中電灯の照射方向いかんで、それの発見を難しくする場合がある。
  

(五) ポロシャツの見分等について

 本件においては、起訴検察官が主任検察官になる以前に、すでに阿部隆による鑑定(以下「阿部鑑定」という。)がなされているのみならず、その鑑定結果も、明確に被害者の着衣であるポロシャツと原告車両から採取されたいわゆる布目痕との同一性を肯定しており、また、そうした鑑定結果が公文書により保存されている以上、その着衣を焼却処分に付したからといって、公訴提起の適法性に影響を与えるものではない。

(六) 原告の取調べの懈怠について

 起訴検察官は、原告の異常走行体験供述が、轢過時の車両の動きを克明にとらえ実際に体験したものでなければたやすくいいえないものであり、不自然なところはなく信用性が極めて高かったこと、既に原告の取調べは、副検事である鈴木一二によって行われていること、原告の51・12・6検面調書の供述は、異常走行体験を否定している一方、被害者を原告車両で轢過している可能性について言及しているなど、極めてあいまいであって信用性に欠けることなどから、再度の取調べをする必要がないと判断したのであって、そのことは特に不合理なことではない。

2 検察官の公訴追行について

 検察官の公訴追行は、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案し、合理的な判断過程で有罪と認められる嫌疑があれば、違法とはいえず、原則として、公訴提起が違法でないなら、その追行も違法ではない。

 従って、公訴提起自体に違法が認められない事案においては、新たに収集された公訴追行時の証拠によって公訴提起時における証拠関係がことごとく崩され、もはやこれらの全証拠を総合勘案しても有罪と認められる嫌疑が存在しないという特段の事情が認められなければ、その公訴追行が違法であるとはいえない。

 本件の場合、公訴提起自体が前記1のように違法といえず、また、公訴追行時において新たに収集された証拠関係についても、有罪と認められる嫌疑を肯定できる相応の根拠が認められたため、公判立会検察官は、全証拠を総合勘案し、公訴追行時において未だ原告を有罪と認められる嫌疑があると判断したものであって、その公訴追行が違法であるとはいえない。


作成責任者:町村泰貴
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