国賠地裁判決目次国賠控訴審第二次文書提出命令申立却下決定最高裁逆転無罪判決解説

 三 争点三1(本件一審判決の違法性の有無)について

(原告の主張)

 本件一審判決の理論構成は、
 [1] 本件事故前後の各関係通過車両の時間的側面に注目すると、原告車両を加害車両と考えざるを得ない(情況証拠に基づく事実認定)
 [2] 物証及びその鑑定結果から見て、原告車両と本件事故との結びつきが認められる(物証及び鑑定に関する事実認定)
 [3] 異常走行体験供述は、原告車両と本件事故との関連性を強く規わせる極めて重要な事実である(供述の任意性・信用性に関する事実認定)
との三点から構成されている。

 しかしながら、本件一審判決の右各点についての認定・判断には、次のような違法が存在する。

1 情況証拠に基づく事実認定についての違法性

 本件一審判決の情況証拠に関する事実認定には、有罪の理由として積極的に行った事実認定の違法と原告のアリバイ主張を退けたことについての以下のような違法がある。

(一) 中川丈次(以下「中川」という。)が擦れ違った車両の問題に関する違法な判断

 本件一審裁判所は、中川の52・10・12付検面調書を特信性ありとして刑事訴訟法321条1項2号書面として証拠採用した。しかしながら、本当は、中川は、本件事故発生直後、警察に対して擦れ違ったトラックは「冷凍車のような車」であると述べているのに、中川の50・12・25付員面調書が作成し直された疑いがあること、第7回公判において中川が擦れ違ったのは冷凍車であると供述しており、公判立会検察官が中川の右証言を何ら弾劾せずに放置したこと、中川の前記検面調書記載の「少なくとも冷凍車のようなものではなかった」との供述が真実に反して検察官の強い誘導により生じたこと、中川が第14回公判において、第7回公判でのトラックの形状についての証言が確実な記憶に基づいたものであると述べたこと等からすれば、中川の前記検面調書を特信性ありとして証拠採用したことは、著しく採証法則に違反し、違法である。

(二) 検問関係証拠の問題に関する違法な判断

 本件一審判決が「被告人車の検問場所通過時刻及び佐藤車との先後関係などからも、被告人車を加害車両と見て全く矛盾のない結果が出ている」旨の認定をするためには、証人佐藤賢一の証言を採用しなければならないところ、この証人は本件事故当時は全く捜査に関与せず、赤松検察官に命じられて昭和56年暮れから本件の補充捜査に従事したものであり、原告車両の検問場所通過時刻及び佐藤芳賢車との先後関係についての証言は、赤松検察官が証拠申請し、弁護人の不同意によって撤回した検問表(以下「本件検問表」という。)の記述を丸暗記したもので伝聞証拠であるから、本件一審判決には法が証拠として許容しない伝聞証拠を用いた違法がある。

(三) アリバイをめぐる恣意的認定の違法性

 原告及びバス運転手の供述等から、原告にアリバイが成立していたことは、原告の前記主張第5・1(検察官)のとおりであるが、本件一審判決は、検察官と弁護人間で争いのない事実であった原告車両とバスとの擦れ違い地点を、全く証拠の裏付けを欠く独断によって車故現場の反対側にずらすことによって、原告のアリバイ成立を否定したのであり、まさに意図的・恣意的な認定であるうえ、右争いのない事実と食い違う事実認定をするには、被告人(原告)に防御を尽くさせるために争点を顕在化させる必要があるにもかかわらず、本件一審裁判所はこれを怠って、不意打ち認定をしており違法である。

2 物証及びその鑑定に関する判断の違法性

 本件一審判決によると、桂秀策教授による鑑定(以下「桂鑑定」という。)の結果に基づき、右後輪付着物には、本件事故に由来する被害者の血液が含まれていたと認定し、本件事故と原告の結びつきを証する重要な物証と位置づけている。

 しかしながら、右後輪付着物は、その発見に至る経緯及び自動車工学鑑定の結果から見ても、本件事故との関連性が認められる余地はなく、また血痕鑑定によっても、被告者の血液が付着したものと見ることはできないものである。

 それにもかかわらず、本件一審判決が、右付着物を本件車故の際に付着した被害者の血液と認定したことについては、以下のような違法がある。

(一) 本件検問時の右後輪付着物の見落とし判断の違法性

 本件一審判決は、右後輪付着物が本件検問時に発見されなかったことについて、単に二人の検問警察官が見落としたに過ぎないと認定した。

 しかしながら、右後輪付着物が約19×20センチメートルの大きさであり、加害車両を捕まえるための緊急配備検問をしていた警察官がこれを見落とすという認定は不合理である。   

(二) 防火ライトにおいて、右後輪付着物が発見されたかどうかについて判断を回避した違法性

 右後輪付着物がいつどこで発見されたかについては、本件一審公判において検察官・弁護人間で激しく対立していた点であるのに、本件一審判決はこの点についての判断を回避した違法がある。   

(三) 江守鑑定に関する判断の違法性

 江守一郎教授による鑑定(以下「江守鑑定」という。)は、極めて明快で工学や力学の専門家でないものにとっても、大変わかりやすく説得力に富んでおり、その結果によれば、右後輪付着物と本件事故との関連性を否定しているところ、本件一審判決は、江守鑑定をなんら合理的な理由を示すことなく排斥しており、違法である。   

(四) 上山鑑定を無視した違法性

 上山滋太郎教授による鑑定(以下「上山鑑定」という。)書には、本件事故の轢過態様について、被害者は伏臥状態のところを後頭部から上胸部(背部)までの範囲(約43センチメーール)にわたって轢過されており、特に、頭部は頭蓋骨の骨折線からみて前輪及び後輪により二度轢過されている、との記載がある。

 この轢過態様を前提とするかぎり、原告車両が轢過したとすれば、そのタイヤの踏面幅は前輪が17.4センチメートル、後輪ダブルタイヤの踏面幅が約43センチメートルであるから、右後輪外側タイヤが被害者の上胸部(背部)に乗ることになり、出血部位は鼻と口であるから右後輪外側タイヤに被害者の血液が付着するはずがない。

 そしてこの上山鑑定を前提にすれば本件一審判決の認定した轢過態様及び血痕付着機序も成立する余地はない。

 しかしながら、本件一審裁判所は、上山鑑定について上山教授から何らの説明も求めることもせずに、また本件一審判決は、何の説明もすることなく上山鑑定を排斥しており、違法である。   

(五) 血痕鑑定についての違法性

 本件一審判決は、(1)血液予備試験の意義を曲解し、その結果を無視した判断の違法及び(2)船尾、桂鑑定に対する窓意的判断の違法がある。

 (1) 血液予備試験の意義を曲解した違法
 血痕検査の手順としては、血液予備試験を先に行った後に本試験を行うべきであること、予備試験は、血痕のように見える類似の瘢痕が血痕であるか否かを鋭敏度の高い試薬を用いて判断する検査法であって、検体について予備試験の結果が陰性であれば、血液でないと断定し、それ以上の検査は省略してもかまわないというのが法医学の常識であったのに、本件一審判決は、予備試験の意義を曲解し、その結果を無視した。

 (2) 船尾鑑定及び桂鑑定に対する恣意的判断の違法性
 本件一審判決は、船尾忠孝教授による鑑定(以下「船尾鑑定」という。)について、何らの根拠もなくその信用性を否定してこれを排斥したうえ、内容的に矛盾に満ち、方法としても客観性に欠ける桂鑑定を全面的に信用してこれを採用した違法がある。
  

3 原告の異常走行体験供述について

 原告の異常走行体験供述には任意性・信用性がないことは明らかであるのに、本件一審判決は、任意性・信用性を肯定しており、従って、その認定・判断は、以下のとおり違法である。    

(一) 供述の任意性に関する判断の違法性

 原告の右供述は、取調官の偽計による取調べにより生じたものであり任意性がない。

 つまり、被疑者としての取調べにおいて事故を起こした覚えはないと述べる原告に対し、未だ捜査過程上、右後輪付着物の血痕鑑定の結果が判明しうる段階に至っていなかったにもかかわらず、取調官は原告に対し取調当初から、右後輪付着物は警察で検査したところ人血であることが分かった、と虚偽の事実を何度も執拗に告げ、そのため、当時警察を素朴に信頼していた原告は、その心理に決定的影響を受け、事故を起こしたという認識はないのに、警察官が嘘を言う筈はないから、そのとおり、タイヤには人の血が付いているのだろうと思い込み、そうだとすると自分では気づかないまま人を轢いてしまったのかもしれないと思うようになり、最後は諦める気持ちで調書に署名捺印したのである。

 この点について、取調官の佐藤英二は、公判において、弁護人の追求を逃れるため、供述を二転、三転させているにもかかわらず、本件一審判決は、くるくる変わって明らかに偽証である最後の供述部分を何らの合理的理由を示すことなく採用して、偽計による取調べであることを否定し、原告の異常走行体験供述に任意性ありと判断したが、その認定は、著しく採証法則に反する違法な認定である。    

(二) 供述の信用性に関する判断の違法性

 本件一審判決は、原告の異常走行体験供述は信用性があるとしたが、その異常走行体験供述の内容は「走行中、急に車の状態が後から何かに車を引っ張られるように・・・・進行が鈍ったような感じがした」とか「車の後の方がバウンドした状態となり」というものであって、これは明らかに後輪のみによる轢過を示したものである。

 しかしながら、右供述は、上山鑑定にもあるように、被害者は、前輪と後輪による二度の轢過を受けているものという客観的事実と矛盾するものであるうえ、本件一審判決も、同じく右側前後輪による轢過態様の事実認定をしながら、他方では、右後輪のみの轢過をいう供述に信用性ありとして有罪証拠の柱に用いるという明らかな自己矛盾を冒している。

 以上のように、本件一審判決の異常走行体験供述に対する信用性の判断は違法である。   

4 訴訟手続の違法性及び訴訟指揮・証拠採否の偏頗性

   

(一) 布目痕及びその警察鑑定の立証をめぐる訴訟指揮・証拠採否の偏頗性

 本件一審裁判所は、阿部隆証人の再尋問を採用したのち、布目痕とその鑑定が有罪判決の理由付けにとって障害となることを認識したため、検察官に右証人申請を撤回させて、検察官の主張とは別の理由を構成して有罪としたのであり、その措置及びこれに基づく有罪判決の構成は、まさに本件一審裁判所の「最初に有罪ありき」との意識のもとになされたものであり違法である。    

(二) 検問関係の立証をめぐる訴訟指揮・証拠採用の偏頗性

 検問関係の補充立証の時期と出現の経緯からみて、補充立証は少なくとも本件一審裁判所からの示唆程度はあったとみるほかなく、本件一審裁判所が、自らの有罪判決の構想に沿わせる形で足りない証拠を補充したとみるべきであり、加えて、刑事訴訟法上は許されないことが明白な、伝聞証拠を用いて原告を有罪としたその措置及びその有罪判決の構成は、まさに本件一審裁判所の最初に有罪ありきとの意識のもとになされたものといえるのであり、違法である。    

(三) 佐藤芳賢の期日外尋問及び佐藤芳賢の員面調書の不開示について

 佐藤芳腎証言の要点は、「佐藤芳賢運転の車が、事故後の現場を最初に通過したこと、検問場所まで他の車を追い越すことも追い越されることもなかったこと、検問場所で平ボディ、四トンくらいの、空荷のトラックが自車の直前に検問を受けたことを見たこと」である。

 すなわち、佐藤芳賢運転の車の直前に検問を受けたトラックがまさに原告車両であり、佐藤芳賢が、事故後最初に現場を通過した車である以上、原告車両以外に被害者を轢過した車両はありえないと認定しようというものである。

 (1) この佐藤芳賢証言は、本来、原告車両と本件事故を結び付ける有力な端緒であり、かつ、証拠であって、現に、佐藤芳賢証言によれば、捜査当局は事故当夜、佐藤芳賢から30分ないし1時間程度事情を聞いているのであり、その重要性は当初から十分知らされていたはずである。にもかかわらず、起訴後5年以上経過して、論告、最終弁論を残すだけという最終段階になって、突如として補充立証として審理に登場することになった。

 (2) 佐藤芳賢の証人申請に対して、弁護側は、佐藤芳賢は本件捜査上重要な人物であったにもかかわらず、証人請求の時点まで弁護側にその存在すら隠しておきながら、審理の最終段階において登場させようとするのは不可解であり、さらに6年以上前の経験事実を供述させるのは、証人としての適格性に欠けるとしてその採用に反対した。
 ところが、本件一審裁判所は佐藤芳賢を証人として採用し、さらに、同人が職務上多忙であるというだけの理由に基づき、期日外で証人尋問を実施した。

 (3) このように、弁護側の反対を無視し、検察官の請求するとおり佐藤芳賢の証人尋問を実施しておきながら、他方、弁護側からする佐藤芳賢の員面調書の証拠開示要求に関しては、本件一審裁判所は佐藤芳賢の証人尋問の実施前はもちろん、実施後も開示命令は出さず、検察側に勧告すらしなかった。
 さらに、弁護側の弾劾証拠としての証拠申請すら却下した。

 以上(1)ないし(3)の訴訟指揮の偏頗性は、本件一審裁判所がなんとしても原告を有罪にしようという意識のもとになした違法なものである。   

5

 

以上を総合すれば、原告主張の前記1ないし4の各事実は、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものであるから、故意又は単なる過失に止まらない重大な過失があり違法である。

(被告国及び一審裁判官らの主張)

1 情況証拠に基づく事実認定について

(一) 中川が最後に擦れ違った車両(以下「擦れ違い車両」という。)の問題に関して

 (1) 本件一審判決が、擦れ違い車両は原告車両以外にあり得ないとした根拠は、次のとおりである。

 [1] 擦れ違い車両の形状はトラックであり、冷凍車の形状であったとする小川の第7回公判での供述は措信しがたく、右トラックは概ね四トン程度であまり特徴のない極めて一般的な形状のものと認められること
 [2] 右トラックの形状が原告車両と符合すること
 [3] 中川は、事故現場から約二キロメートル会津若松市寄りの平堀ボーリング場付近から宮川魚屋までの間で原告車両らしきトラックと擦れ違ったとの併述はしておらず、宮川魚屋付近でトラックと擦れ違ったのちは事故現場に至るまで他に擦れ違った車両はなかったと一貫して供述していること
 [4] その他認定した現場の情況を加味したこと

 (2) 本件一審判決の右(1)の認定・判断は、次の点に照らし、著しく不合理なものではないというべきである。

 [1] 中川が、擦れ違い車両の形状について、コンテナか冷凍車のような感じのものと供述したのは第7回公判においてだけであって、しかもその供述自体に不明確な点があることは否定できず、他方、中川は、第14回公判、員面調書、検面調書及び司法警察員作成の「不審車両の聞込みについて」と題する報告書において、いずれも、擦れ違ったトラックは概ね四トン程度の一般的な形状のものである旨供述している。
 [2] 中川の平堀ボーリング場付近から事故現場までの擦れ違い車両についての供述は、前記(1)[3]のとおりであるが、午後九時過ぎという当時の時間帯、付近の場所及び交通情況等をも勘案すると、本件一審判決が右供述を採用してそれに沿う事実を認定したことをもって、著しく経験則、採証法則に反するものとはいえない。

(二) 検問関係証拠について

 佐藤賢一証言を事実認定に採用することは、刑事訴訟法に違反しない。けだし、佐藤賢一は、本件検問を直接担当した警察官ではないものの、公判段階になって、補充捜査の一環として本件検問表に基づき、新潟陸運事務所において車体型式などの車両の種類を調べ、「死亡轢き逃げ事件捜査に関する車両調査について」と題する報告書を作成しているところ、同人は、本件一審証人として右報告書の作成経緯及びその過程において自ら知りえた事項について供述しているものであって、その供述内容は伝聞供述にはあたらない。

(三) アリバイについて

 原告主張のアリバイが成立するためには、原告のバスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性の有無にかかり、本件一審判決が、右供述の信用性を否定したのは、以下の理由からであり、その理由は相応の根拠に基づき、裁判官の判断として著しく不合理なものとはいえない。

 (1) 原告主張のとおり「阿賀の川タクシー」の看板付近で原告車両とバスが擦れ違ったとすると、次の点で、他の客観的証拠や措信しうる各証拠により認められる情況証拠と符合しない。

 [1] 原告車両が事故現場を通過してからバスが事故現場に到着するまでの時間は、23.4ないし31.2秒となるが、その間に、被害者が「あたらしや」の前あたりで道路中央線方向に進出し、津川農協前の事故現場まで少なく見ても約20メートル以上にわたる距離をぶらぶらとよろけながら酩酊、歩行して、その場に転倒、横臥するという一連の行動をとるということは、経験則上考えられない。
 すなわち、右の約20メートルの距離について、前記速度を時速に換算すると、約3ないし2.3キロメートルに相当し、これは、通常人の歩行速度の6割ないし7割に相当するものであるが、右のような泥酔状態にあった被害者がこれより早い速度で(右23.4ないし31.2秒には、路上の歩行時間ばかりではなく、道路中央方向に進出する時間及び事故現場で転倒、横臥する時間も含まれている。)歩行することは考えられない。
 [2] 本件事故前に原告車両が現場を通過したのであれば、原告が、道路中央近くをぶらぶら歩行中の被害者を目撃しないはずはない。
 [3] さらに、原告車両の現場通過時に既に被告者が横臥していたのであれば、原告車両が被害者の轢過若しくはこれとの接触は避けられないはずである。

 (2) 擦れ違い地点に関する原告の供述自体にあいまいさがある。
 すなわち、バスとの擦れ違い供述は、原告が特に「阿賀の川タクシー」の看板の存在を意識して走行したとは認められず、しかも事故現場付近の道路は当夜を含めて過去に一往復したにすぎないという状況下で、記憶に基づいて述べたものにすぎず、かつ、原告は第29回公判において右擦れ違い地点について、明確とはいいがたい供述をしており、本件一審判決の見方が著しく不合理とはいえない。

2 物証及びその鑑定に関する事実認定の違法性について

(一) 本件検問時における右後輪付着物の見落としについて

 この点に関し、本件一審判決は、本件検問の所要時間が僅か9分程度のもので、しかも、深夜懐中電灯の灯を頼りに行ったものであるから、その付着場所の異常性も考慮すると、検問時に見過ごされたこともあながち不合理なこととはいえない旨判示しているが、右の認定・判断は、被告の前記主張第5・1(検察官)と同様、相応の根拠に基づくものであり、著しく不合理なものとはいえない。

(二) 右後輪付着物を発見した日時場所についての判断について

 本件一審判決は、右後輪付着物の発見の日時場所について、明示的な判断をしていないこと及びこの点について検察官と弁護人との問に主張の対立があったことは、原告主張のとおりである。

(三) 轢過態様及び血痕付着機序について(江守鑑定・上山鑑定について)

 本件一審判決は、バス運転手の目撃した事故直前の被害者の位置姿勢と、中川の目撃した車故後の被害者の位置姿勢がまるで異なっていること、現場付近の道路情況及び現場路面に残された痕跡、死体の主要な損傷は、左上肢のほかは胸部よりも上方に限定されており、頭部から顔面の部分に見られる損傷と下顎部から頸部にかけての損傷との間に、かなりの程度の違いがあること等を詳細に認定し、これらを総合的に検討したうえ、轢過態様について考察を行い、一応の考え方として、轢過態様を判示したものであるから、相応の根拠に基づく推認を行っているものであり、右判決が著しく経験則、採証法則に反する不合理なものということはできない。

 また、仮に、江守鑑定を排斥した理由に十分な説得力が認められないとしても、江守鑑定の結論に批判的な上山鑑定及び井上鑑定(井上教授の証言も含む)があり、また、江守鑑定補充書が提出されていない一審の段階においては、本件一審判決が江守鑑定を排斥した説示部分のみを取り出して、これをもって裁判官の判断として著しく不合理であるとはいえない。

(四) 血痕鑑定について

 (1) 予備試験について
 本件一審判決は「桂鑑定はその道の第一人者の手になる周到、綿密な検査法を駆使したものであって、その結果は大いに信頼すべきものということができる」との見解にたっており、ことに顕微沈降反応法は微量血痕の判別においては輪環反応法(船尾鑑定で採用、「輪環試験」「輪環テスト」ともいう。)を含む他の手法よりも鋭敏度が高く有効であるとの認識のもとに、横山の予備試験と比較をする上で判示のような表現をとったものであり、かかる認定・判断をもって、著しく経験則、採証法則に反するものとはいえないから、この点をとらえて、予備試験の意義を曲解したとか結果を無視したとかいうことは到底できない。
 なお、仮に、本件無罪判決が指摘するように、本件一審判決が予備試験の意義について正確な認識を有していなかったとしても、血痕鑑定については桂鑑定という有力な根拠があるほか、有罪、無罪の判断は、血痕鑑定以外の各証拠との総合判断の上でなされるのであるから、個別に予備試験の意義についての認識の部分のみを取り出して、これをもって、裁判官の判断として著しく不合理なものであるなどとは到底いえないし、まして、裁判官が意図的に予備試験の意義を曲解し、結果を無視することなど考えられない。

 (2) 桂鑑定・船尾鑑定について
 本件一審判決は、桂鑑定を採用した理由について、顕微沈降反応法は手法に特殊性はあっても、原理そのものは輪環反応法と同じく沈降反応を観察するものであり、既に全国の数か所の警察において採用実施されており、こと微量血痕の判断においては輪環反応法を含む他の手法よりも鋭敏度が高く有効なところから、微量血痕の鑑定においてかなりの実務例があり、鑑定方法としても科学性に何ら疑問の余地がない、と述べており、また、船尾鑑定についても桂鑑定と船尾鑑定との検体の違い等から鑑定結果に食い違いが生じても不自然ではない、桂鑑定の顕微沈降反応法と船尾鑑定の輪環反応法とでは、微量血痕に対する鋭敏度が異なり、桂鑑定は船尾鑑定よりも鋭敏度において大幅に勝ること、船尾鑑定の検体については、採取直後に横山によって輪環反応法よりも鋭敏度が高いとされているフィブリン平板法によって人血の反応があったとされたこと等を総合して船尾鑑定の結論は直ちに措信しがたい面もあると判示しているのであって、十介な根拠に基づいて船尾鑑定を採用しなかった理由を述べているのである。
 なお、仮に、本件一審判決の検体の陳旧度に対する配慮の点や検体からの浸出液の濁りをどのようにみるかという点についての判示が表現として不明確であったとしても、輪環試験で血痕の人獣血鑑別をやるとどうしても検体からいろいろな物体がしみ出てきて混濁することはあり得る旨の桂教授の証言及び桂鑑定という有力な証拠があるほか、船尾鑑定についても前記のとおり総合的に判断してその信用性に疑問を呈しているのであるから、個別に船尾鑑定を排斥した部介のみを取り出して、これをもって裁判官の判断として著しく不合理なものであるとは到底いえないし、ましてや、原告主張のように、裁判官が鑑定結果を恣意的に判断することなど考えられない。
  

3 原告の異常走行体験供述について

 原告の異常走行体験についての供述は車両の動きを適切にとらえ、実際に体験した者でなければ容易に言い表せないと言うべきものであるうえ、必ずしも、車両の後輪のみに衝撃を受けたとする供述になっているかは判然としないものである。

 また、本件一審判決が右前輪後輪轢過の事実を認定したのは、原告の異常走行体験供述のみによったのではなく、右後輪付着物、事故態様に関係する各鑑定等の各証拠を総合勘案した上での認定であるから、右判決の認定が著しく不合理であるとはいえない。   

4 訴訟手続の問題について

   

(一) 布目痕立証

 原告の主張は、原告の主観的な憶測に過ぎないことはその主張自体から明らかである。    

(二) 検問関係証拠の立証

 検察官が立証の必要上、証拠調べの最終段階であっても補充立証の申請をし、裁判所が裁量によりこれを理由ありとして許すことは手続上当然のことであり、本件の場合が特に異常であるとはいえない。

 原告は、本件一審裁判所が検察官に指示、示唆して補充立証をなさしめた旨主張するが、右は原告の単なる推測、憶測にすぎない。    

(三)

(1) 佐藤芳賢の期日外尋問について
 佐藤芳賢を期日外に証人尋問したことは、刑事訴訟法に違反しない。
 刑事訴訟法158条1項によれば「裁判所は、証人の重要性、年齢、職業、健康状態その他の事情と事案の軽重を考慮した上」、「必要と認めるときは、裁判所外において、これを尋問することができる」と規定しているところ、本件一審裁判所は、同証人の重要性、その職業上の多忙さなど、同条に定める要件に該当するかどうかを十分考慮した上、同証人に対する尋問をその居住地にある福島地方裁判所会津支部において、原告及び弁護人立会の上、実施したものであって、その措置は、同条に照らし、何ら非難されるべきものではない。
 

(2) 佐藤芳賢の員面調書の不開示
 本件一審裁判所が、佐藤芳賢の員面調書の証拠開示命令ないし勧告をしなかったことは、偏った訴訟指揮をしたことにはならない。
 弁護人から一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申し出がなされた場合、裁判所は、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類及び内容、閲覧の時期、閲覧の程度及び方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が、被告人の防御のために特に重要で、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させることができるところ、本件は、業務上過失致死罪という単独過失犯であって、事実自体としては複雑とはいいがたいこと、右佐藤芳賢は、本件事故の被害者でもなく、原告に対して敵意を有しているというような状況もないこと、閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申し出がなされている証拠がいわゆる員面調書であることなどから、閲覧が、被告人の防御のために特に重要であって相当と認められるとまではいえないから、本件一審裁判所が、佐藤芳賢の員面調書について証拠開示命令ないし勧告をしなかったことをもって、偏った訴訟指揮となるものではない。   

5 まとめ

 裁判官の職務行為の違法については、裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生じるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要と解するのが相当であるところ、前記1ないし4を総合すれば、本件一審判決に国賠法上違法となるような特別事情は認められず、違法性がないことは明らかである。


作成責任者:町村泰貴
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