国賠地裁判決目次国賠控訴審第二次文書提出命令申立却下決定最高裁逆転無罪判決解説

 四 争点三2(本件二審判決の違法性)について

  

1 控訴審の役割

 刑事裁判における控訴審は、事後審としての監督的立場から、一審の行った裁判について、当事者の指摘する誤りがあるか否かを事後的に審査することが求められており、その意味では一審とは異なった面で「疑わしきは、被告人の利益に」の行為規範の遵守が求められているというべきである。

 換言するならば、控訴審は、多数の生の事実の中から一つの訴訟的真実を探り出さねばならない一審と異なって、凝縮した争点について、より分析的、論理的思考方法による判断が求められ、その当然の帰結として、一審の冒した誤った裁判を看過することなく、厳しい目で一審の判決をチェックしなければならないのである。のみならず、控訴審は最終の事実審として、当事者の主張する一審の事実誤認について誤りを糺すとともに最終的に事実を確定させなければならないのはいうまでもないところである。

 そこで以上を本件においてみるに、本件上告審が本件二審判決を事実誤認を理由に取り消したということは、結局は、本件二番判決が本件無罪判決の指摘する本件一審判決の誤りを糺さなかった、すなわち、控訴審として有するチェック機能を働かせられなかったことであるから、右義務違反が、ここにおいて、国賠法上の違法に該当するか否かについて検討されなければならない。

 なお、刑事裁判の控訴審が事後審であることから、一審と異なって、控訴審の果たすべき様々の義務の内容が、一審のそれよりもさらに厳しく問われるべきであるかの点については、判断の難しいところであるが、一審と二審の性格上の違いはあるものの、裁判所法及び刑事訴訟法上、特段に、より高度の義務履行が求められているとは考えられず、国賠法上の違法性の判断に当たっても、一審と同等の基準で考慮すれば足りるものと解される。   

2 本件二審判決の理論構造

 本件二審判決の理論構造は、本件一審判決とややニュアンスを異にする理由説示を含むものの、大筋において、左記のとおり、本件一審判決の事実認定を是認し、原告の控訴を棄却していることが認められる(甲1、2、3)。    
 (一)  物証及びその鑑定結果並びに原告の異常走行体験供述等を除いた事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討により、原告車両を轢過車両と認定できる。
 (二)  物証及びその鑑定結果から原告車両の右後輪等には被害者と同じO型の人血と毛髪等が付着していたことが認定できる。
 (三)  原告の捜査官に対する異常走行体験供述は信用できる。

 そうであるとすると、以下の検討においては、本件一審判決に対する検討と同旨の部分は前記6・3(一審判決)の判断を援用することとし、本件一審判決に対する検討と異なる部分についてのみ、前述の控訴審の役割に基づく義務違反の存否及び国賠法上の違法件の存否を検討することとする。   

3 情況証拠に関する判断について

  

(一) アリバイの排斥について

 本件二審判決は、本件一審判決が認定した、関係各車両の通過時間等の情況証拠のみならず、原告車両の付着物及びその鑑定結果並びに異常走行体験供述の評価をも踏まえて、アリバイ不成立の認定・判断をしていることが認められ、特に、バス運転手の供述については、時間の関係の正確性を担保するために、本件一審判決の引用していない[1]運転手がタコグラフによる事故現場を通過した時刻の供述部分及び[2]タイムカードを押した時間の供述部分を各引用していることが認められるが(甲3)、右供述部分は、供述者の主観の入りようのない客観的事実であることに鑑みると、右総合的事実を踏まえた検討を本件一審判決の事実認定に加えていることとともに、その結論の当否は別として、判断過程のプロセスとしては控訴審のチェック機能に基づく判断をしているものと評価することができるというべきである。   

(二) 本件検問における通過順位等について

 この点については、原告は、本件二審判決が、実際には検問に立会っていない熊谷武之巡査が検問メモを検問従事者として作成したと認定したことは、伝聞証拠違反を理由に弁護人の反対した佐藤賢一証言を採用するために、故意に誤った事実認定をしたものであると主張するので検討するが、右熊谷及び渡辺正紀の供述によれば、熊谷巡査が本件検問に立ち合った事実はなく、本件二審判決の誤りは明らかであるが(甲3、乙289、300)、右の熊谷尋問は、事実認定に供する資料としてではなく、佐藤賢一証言の伝聞証拠性を調べるためのものであるから、証拠採否の手続に関するものにすぎず、本件で問われている事実誤認を直接的に招来したものではない。従って、右違反が独立して国賠法上の違法を問われるべきでないことは明らかである。すなわち、本件二審判決の判示によると、先ず、中川との擦れ違い車両が、被害者を轢過したものであると認定し、その車両は原告の運転していた四トン程度の普通貨物自動車であったとしたうえで「以上の如き各車両のすれちがい状況からみた轢過車両の特定に加えて、・・・」という判示に続けて、本件検問通過車両の通過順位からも原告車両が轢過車両であるという認定方法を行っているのであるから、明らかに本件検問通過順位等による轢過車両の特定は、右認定の補強に過ぎないものである(甲3)。   

4 物証及びその鑑定結果に関する判断の違法性

  

(一) 本件検問時における右後輪付着物の見落とし認定について

 原告は、右後輪付着物の検証申請の却下について、控訴審の事後審性を強調して、右却下が国賠法上の違法になると主張するので検討するが、この点については、血痕が付着していることが前もってわかっているものを検証実験したところで誰も見落とすわけがなく(つまり当時と同じ条件と同じ心理状況で検証すること不可能である。)、のみならず、本件検問において、右後輪外側タイヤ近辺を点検した旨の検問記録上の記載はなく実際の検討がどのような手順で行われたかが不明であることを考頗すると、申立の検証実験で本件検問の内容の再現は不可能であることは明らかで、本件二審裁判所が右申請を却下したのはやむを得ないものというべきである。   

(二) 防火ライトでの右後輪付着物等の発見について

 右後輪付着物等の発見経過については、前示認定のとおり、本件一審判決がなんら理由を述べていないところであるので、以下のとおり検討することとする。

 (1) 本件二審判決の認定した右後輪付着物の防火ライトでの発見について、本件無罪判決が疑問を指摘するところは、左記のとおりである(甲1)。
    記
 [1] 防火ライトで発見されたという捜査報告書は、その記載の正確性に問題があること
 [2] 原告の供述調書には右後輪付着物を初めて確認したのは岩沼署においてであると解することができる記載がある反面、防火ライトで右後輪付着物を確認したことを窺わせる記載が見当たらないこと
 [3] 防火ライトで立ち会った原告の雇主及び原告の供述には、右後輪付着物は岩沼署で発見されたと解することができる部分があること
 [4] 轢き逃げ死亡事件の捜査のために最初に出向いた二人の警察官が原告車両に血痕様の右後輪付着物を発見しておきながら、二人ともそのまま放置して4キロメートル離れた警察署に帰ったことや二度目に防火ライトを訪れた警察官がその場で証拠保全、採証しようとせず、原告に運転させて原告車両を四キロメートルも離れた岩沼署まで運んだというのも不可解であること

 (2) しかしながら、右の各点については、本件刑事記録を精査すると、
 [1] 文屋義隆及び宇田川敏夫は、文屋巡査部長の指示で防火ライトに赴いた二瓶、斉藤両巡査が、原告車両の右後輪タイヤに血痕様のものを現認していながら、車両をそのままにして署に戻ってきたことで文屋巡査部長から注意を受け、直ちに宇田川巡査らが日本防火ライト工業仙台工場に赴いた旨の供述をしていること(乙209、227)
 [2] 宇田川も防火ライトにおいて付着物を見たことがあると供述していること(乙209)
 [3] 林長も防火ライトでの発見を聞いていると供述していること(乙211)
 [4] 52・12・22付車当り捜査報告書(乙172)、同日付血痕及び毛髪らしい付着物採取報告書(乙173)、50・12・24付現場資料採取報告書(乙174)がそれぞれ作成されており、これらの報告書には一部不正確な記載があるものの、これらによって、一応、右後輪付着物の押収経緯が明らかにされていること
 [5] 証拠物と見られるものを発見した場合でも、常に、その発見場所において直ちに押収手続が行なわれるものでなく、任意提出者の利益、証拠物の散逸の危険性、押収するための器具、鑑識のための機材等の準備等の諸事情を勘案し、場合によっては、最寄りの警察署等において押収手続をとることもあり得ること
 [6] 防火ライトにおいて発見した段階ではまだ本件事故と右後輪付着物との関連性が確認されていなかったために押収手続をとらなかった可能性があること
等の事実が認められるのであるから、本件二審判決の認定・判断が著しく不合理であるといえないばかりか、前述したとおり、原告が右後輪付着物の発見場所がどこであるかにこだわる第一の理由は、右後輪付着物が自然に付着したものではなく、捜査関係者が故意に付着したものではないかとの疑念が前提にあると解されるが、鑑定を行っても鑑定意見が分かれるほどの判定困難な付着物をわざわざ選んで付着させることなど通常あり得ないことに鑑みると、右疑念自体が論理的矛盾を来たすものであることは明らかであり、捜査警察官が原告を犯人にするために故意に付着させたことを窺わせる特別の事情でもあれば格別、かかる特別事情の主張、立証もない本件においては、右疑念は、合理的疑いを超えたものであり、到底国賠法上の違法を考える問題ではないというべきである。    

(三) 江守鑑定・上山鑑定について

 江守鑑定について、補充書が提出されているほかは、本件二審判決も一審判決の理由とするところと異ならないので、右の点についてのみ検討することとする。

 (1) 本件二審の段階において、江守鑑定の補充書(乙297)が提出されたが、その内容は、本件一審判決が江守鑑定を採用しなかった理由に反論して、前輪轢過の有無にかかわらず右後輪付着物は右後輪外側タイヤに付着しない旨の意見であるが、なぜ前輪轢過があっても影響がないのか前記第6・3(一審判決)で江守鑑定に関して述べた様々な疑問点には充分に答えていないと思われる。

 (2) 原告は、本件二審判決が「被告人車の右後輪外側タイヤの外周寄りの部分が地上に横たわる状態でいた被害者の額から頭部前面部分に乗り上げてその部分の皮膚等を剥ぎ取るような形で轢過した結果、右のような損傷を与えるとともに、剥がれたものがタイヤ外側面に触れて血痕及び毛髪を付着させたものということができる。」との轢過態様の認定は、証拠に基づかないどころか、明らかに証拠に反していると主張するとともに、右認定の轢過態様は上山鑑定の轢過態様と異なるものであると主張する。

 しかし、本件二審判決が医師茂野録良作成の鑑定書(乙162)、同人の検察官に対する供述調書(乙163)、司法警察員作成の50・12・22付死体についての実況見分調書(乙161)等に基づき、被害者の損傷状況を丹念に検討した結果、右轢過態様を判断していることは明らかであり(甲3)、原告の主張する証拠に基づかない事実認定との非難は当たらない。    

(四) 血液予備試験及び船尾鑑定について

 たしかに、本件二審判決の判示には、原告が主張するように、
 (1) 横山のした予備試験の結果のみで人血であることが判明したかのように認定しているかのように受け取られる部分
 (2) 船尾鑑定は、血液であるが高度に希釈されており、絶対量が少ないために陽性反応を狩ることができなかったとして船尾鑑定を排斥しているかのように受け取られる部分
があることが認められる(甲3)。

 しかしながら、その前後の判示部分を全体として読めば、その部分の判示は、結局は、(1)については、資料採取及び鑑定経緯の認定のなかで予備試験をした横山の認織として認定しているのであって、本件二審判決が、横山の予備試験の結果でもって右後輪付着物が人血を含んでいると認定しているのではないことは明らかであり、また(2)についても、本件二審判決は、原告が控訴趣意書(乙328の2)において、主張した、桂鑑定の顕微沈降反応法が客観的に信用性がない、との所論を排斥するために、桂鑑定の顕微沈降反応法と船尾鑑定に用いられた輪環反応法との技術的な差異等を桂教授及び船尾教授の証言に沿って、一般的に判示しているに過ぎないのであって、特に本件において、船尾鑑定の鑑定資料が一万五千倍に薄められた結果、陽性の結果が出なかったということを判示しているのではないことは明らかである(甲3)。

 なお、本件二審判決が桂鑑定の信用性を認めるとともに船尾鑑定が桂鑑定の信用性に影響を及ぼさないとした理由は、ややニュアンスは異なるものの、基本的には本件一審判決と同旨であると認められる(甲2、3)。   

5 異常走行体験供述の任意性・信用性に対する判断について

   

(一) 原告は、本件二審において、控訴趣意書及び控訴審の弁論で、異常走行体験供述が任意性・信用性に欠けることを、次のとおり、具体的に指摘していることが認められる(乙285、328の2)。  

[1] 異常走行体験供述は、上山鑑定の轢過態様(前後輪の二重轢過)と矛盾すること  

[2] 原告が、実際に、異常走行を体験したのち、本件検問を受けていたならば、体験した異常走行と本件車両の関連を心配し、事件の痕跡の発見につとめ、事故の痕跡が発見されれば、その罪証を隠減するなど工作すると考えられるにもかかわらず、原告の本件事故現場通過後の行動と異常走行体験とは矛盾するところが多く、原告の異常走行体険は存在しないと考えられること   

(二) これに村し、本件二審判決が原告の異常走行体験供述の任意性・信用性を肯定する理由は、
 (1) [1]については、前記第6・3(一審判決)で認定したところと同旨であるほか、供述内容が轢過時の車両の動きを克明にとらえ、実際に体験したものでなければたやすく言い表せないものであり、不自然なところがないこと
 (2) [2]については、本件検問時に車両に異常が発見されなかったため、自己車両には、異常走行体験の際に何らの痕跡も付かなかったと思ったとすれば、その後の原告の行動が加害者の意識を持たない行動に終始したとしても相容れないものではないこと
 (3) 原告の監督的立場にある前記斉藤の「被告人が津川署に出頭する際、洗面道具、下着などを買って持っていったのを見て、被告人が取り調べを受け、正直言って轢き逃げで逮捕されるだろうと考えていた」旨の供述が原告の心情を明かしたものと理解できること
に要約される(甲3)。
   

(三) しかし、右理由は、やや弁解に過ぎるきらいがないわけではなく、右部分に限って言えば、前記第6・3(一審判決)の判断と同じく、不合理な判断といわざるをえない。   

6 まとめ

 控訴審は、事後審としての監督的立場から、一審判決の問われている不当性について、その当否を点検する役割・機能に誠実に従い、かつ、疑わしきは罰せずの行為規範を遵守して審理を果たす義務のあることに鑑みれば、本件においても、本件二審裁判所が、控訴趣意書に凝縮された各争点について、合理的疑いをもって審理すれば、本件無罪判決の指摘する本件一審判決についての疑問に気づいてしかるべきであったと考えられる。

 しかし、そうであるからといって、直ちに本件二審判決が国賠法上の違法に該当するとはいえず、前述のとおり、本件二審判決が国賠法上の違法に当たるためには、著しく不合理な事実認定、すなわち、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況の下では到底そのような事実認定をしなかったであろうと考えられるほど著しい事実誤認をした場合に初めて、違法というべきであるところ、以上検討してきた本件二審判決の審理経過には、本件無罪判決と同じスタンスをもって、前記行為規範の遵守に徹すれば、本件一審判決の事実誤認を是正できたであろうと考えられるところがないではないが、本件事件を概観して、原告車両を除いては、他に加害車両と認定できる情況になかったことが大きな障害となって、本件事実誤認に結びついたものであろうことを考慮すると、概ね、控訴理由について控訴審としての機能に即した審理を果たしていることが窺われ、右基準を超えた著しく不合理な判断とはいえず、国賠法上の違法を認めなければ著しく正義に反するものとまではいえない。


 五 争点四(公務員の個人責任の有無)について

  1 公務員の個人責任については、従来から論争されているところであるが、確立した裁判例によれば、公権力の行使に当たる国又は地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該公務員の所属する国又は地方公共団体がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであって公務員個人は民法709条による賠償責任を負わないと解されている(最高裁・昭53・10・20、民集32巻7号1367頁参照)ところ、当裁判所も右立場を正当と解するものである。

 右を敷桁するとすれば、公務は、私的業務と比べ際立った特殊性を有し、常に国民の権利を制約する形で執行され、その結果、執行を受けるものはこれの受忍を余儀なくされているが、これの正当性の担保は、公務が適法であることを条件に権利侵害の違法性が阻却されると解されるところに求められるが、右の理は、公務としての特段の保護を何ら必要としないほど明白に違法な公務で、かつ、行為時に行為者自身が、その違法性を認識していたような事案については該当しないと解するのが相当である。

  2 つまり、被疑者や被告人に対して、悪意(個人的な恨みを晴らしてやろうとか、被疑者・被告人に対して恨みを抱いているような者から賄賂を貰ったような場合)をもって、公訴を提起し、あるいは、有罪判決を言い渡したような場合は、公務の名を借りてはいるものの、何ら公務としての保護は必要としないほどに明白に違法な行為であるのであって、そのような場合にまで、当該公務員にも民事不法行為の適用が否定されるべきものとは考えられない。

  3 そこで、本件刑事事件の起訴から本件二審判決までの経緯について、検討するに、原告の主張を精査してみても右悪意の存在を基健づける具体的事実は何ら主張されていないのであり、被告個人らに対する請求は、そもそも失当であるといわざるを得ない。

 むしろ、本件において刑事裁判官を被告とした部分は、前記原告の故意論に対する判示で明らかなとおり、従来、裁判の違法性判断が悪意という主観的要件に限定してきたことに対応して採られた訴訟方針であることに鑑みると、やむをえないものと理解することはできるが、厳しく言えば、やや冷静な証拠判断から離れた主観的・感情論に基づく主張に終始したものと評価せざるを待ず、これでは、かえって被害者救済を本旨とすべき国賠訴訟の裁判からは遠く離れていくことを懸念せざるをえないのである。


第七 結論

 よって、その余の点を考慮するまでもなく、原告の請求にはいずれも理由がないから棄却することとする。

(裁判官 村田鋭治 裁判官 川上宏 裁判長裁判官 澤田三知夫は転補のため署名押印できない。裁判官村田鋭治)


作成責任者:町村泰貴
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