PC−VANチャットログ無断掲載事件

第二 事案の概要

  本件は、被告が、パソコン通信のオンライン会話サービスを利用し、原告との間で交わしたユーザIDの不正使用についての会話を抜枠して、会員であれば誰でも読むことができる電子掲示板に掲示した行為が、原告に対する(1)名誉毀損、(2)プライバシー侵害、(3)通信の秘密の侵害又は(4)著作権の侵害の不法行為を構成するとして、原告が、右行為によって被った精神的・財産的損害(220万円相当)の賠償を求めた事案である。

一 前提事実

 以下の事実は、証拠を括弧書きで摘示した部分を除いて、当事者間に争いがないか又は弁論の全趣旨により認められる。

1 原告及び被告は、パソコン通信網PC−VANに加入している者である。

2 PC−VANは、日本電気株式会社(以下「日本電気」という。)が、その所有するホストコンピューターと全国各地の事業所コンピューター(アクセスポイント)を専用デジタル回線によって接続し、右アクセスポイントと各会員の有するパソコン等の機器(以下「会員端末」という。)を、電話回線を利用して接続し、会員に対し、電子メール、オンライン会話サービス(以下「OLT」という。)、電子掲示板等の電気通信サービスを提供する パソコン通信網である。

3 OLTは、日本電気が、複数の会員が同時に出入力等の操作をする(以下「アクセスする」という。)ことができるPC−VAN内の一定のデータ領域を会員に提供し、各会員が、右データ領域に通信文(メッセージ)を書き込むと、そのメッセージが同時刻に右データ領域にアクセスしているすべての会員端末の画面に時刻の早い順に次々と表示される仕組みのもので、会員であれば誰でも、いつでも右データ領域にアクセスすることができ、同時刻に同じデータ領域にアクセスしている会員が相互にメッセージを読み、それに対する応答のメッセージを書き込むことを繰り返すことによって、会員相互間で会話をすることができるサービスである。

4 電子掲示板は、日本電気が、会員であれば誰でもアクセスすることができるPC−VAN内の一定のデータ領域を会員に提供し、各会員が、右データ領域にメッセージを書き込み、また、書き込まれているメッセージを読むことができる仕組みのサービスであり、このように書き込まれたメッセージは、PC−VAN事務局が消去するまでの期間は、会員であれぱ誰でも、いつでもそのメッセージを読むことができる。

5 各会員は、日本電気との間で会員契約を締結する際、アルファベット及び数字からなる会員番号(ユーザID・以下、単に「ID」という。)を付与され、会員がPC−VANサービスを利用して発信する場合は、その会員のIDが必ず表示されるほか、各会員が自分で付けたハンドルネームと呼ばれる通称を表示することもできる。会員規約上、各会員は、他の会員のIDを不正に使用してはならないとされている。
 PC−VANの会員数は、平成5年4月当時において約62万人であったが、その後も漸次増加している。

6 平成4年6月ころ、エーアイ出版株式会社(以下「AI出版」という。)が代表取締役個人名義で所有するID(THB*****)を原告が使用し、OLT等を利用していたことが判明した。原告は、電子掲示板に、右の件は過失によるものであると掲示したが、その後も、原告がID所有者の承諾を得ていないことを認識しながらあえて右IDを不正に使用した(以下「不正使用」という。)のではないかとの疑惑がとりざたされていた。

7 被告は、平成6年3月25目、OLTにおいて、ハンドルネーム「酔人テラ」を使用して、同「ぽにいてーる」を使用する原告との間で会話(以下「本件会話」という。)を交わし、同月30日、本件会話の通信記録(以下「本件通信記録」という。)を適宜抜枠して電子掲示板に掲示した(以下「本件掲示行為」といい、その掲示内容を「本件掲示」という。)。その内容は別紙のとおりであり、要するに、被告が原告に対し前記6の疑惑の真相を尋ねたが、原告が回答を拒否したことから、被告が原告に対して「多分犯人は貴方なのでしょう。」と発言したというものである(甲第二号証)。

二 争点

1 名誉毀損

(原告の主張)

 被告は、本件掲示中の「多分犯人は貴方なのでしよう。」との発言部分により、原告がAI出版のIDを盗用したとの事実を摘示し、もって、原告の社会的評価を低下させ、原告の名誉を毀損したものである。なお、原告は、右IDを秋葉原の電気街で偶然に知り合った権利者と自称する者から一万円で借用したのであり、盗用したものではない。

(被告の主張)

(一) 本件掲示行為の当時、原告が、AI出版の所有するTHB*****のIDを不正使用したとの疑惑があったので、被告は、本件会話を通じて右疑惑に係る事実の存否を確認した上、他の会員に対して注意を喚起する目的で本件掲示行為に及んだものであり、右行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものである。

(二) 右疑惑に関しては、平成4年6月、ハンドルネーム「右近」を使用しているPC−VANの女性会員(以下「右近」という。)が、THB*****のIDを有する会員から、OLTで個人的情報にかかわる嫌がらせの 発言を受けた旨を電子掲示板に掲示したことを契機にして、電子掲示板において、他の会員が右IDは原告が使用していることを示唆する発言を掲載し、原告がこれに対する反論を掲載するなどしていたところ、右近が、右IDは、AI出版が所有するもので、当時のAI出版の代表取締役名義であることが判明した旨を掲示し、さらに、AI出版が、同年7月27目、PC−VAN会員に対し、ID管理の不始末を謝罪した上、右IDの不正使用者を原告であると特定したことを電子掲示板に掲示するなどの経緯があった。したがって、右経緯にかんがみると、原告が、AI出版の所有するTHB*****のIDを不正使用したことは真実であり、仮に真実でないとしても、被告は、AI出版の掲示内容等を信用し、これを真実であると信じたものであり、真実であると信じるにつき相当な理由があった。

(三) したがって、被告の本件掲示行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものであって、本件掲示の内容が真実であり、仮に真実でないとしても、被告が真実であると信じるにつき相当な理由があったので、違法性が阻却される。

2 プライバシー侵害

(原告の主張)

(一) 本件掲示は、誰が何をどのような考えに基づき発言したかを具体的に知ることができるものであるが、このような事柄は個人の思想、信条にかかわるものであって、プライバシーに関する事項として保護される。

(二) 本件掲示は、当時の約60数万人のPC−VAN会員が読むことができ る状態に置かれ、そのうち、一割に相当する約6万人の会員が実際にこれを読んだものと推測される。

(三) 被告は、原告が同意をしなかったのに、本件掲示を不特定多数の者に公開し、原告のプライバシーを侵害した。

(被告の主張)

(一) 本件会話の内容は、本件掲示行為によって初めて公開された情報でなく、既にAI出版によって、電子掲示板に掲示され、公開されていた情報であり、何ら秘匿性、新規性のある情報ではない。

(二) また、本件掲示においては、発言者である個人は全てハンドルネーム及びIDだけで特定され、原告の住所、氏名、職業等の情報は表示されていないので、本件掲示における発言者が原告個人であることの特定は困難である。

(三) したがって、被告の本件掲示行為は、プライバシー侵害といえる程度の実体を備えていない。

3 通信の秘密の侵害

(原告の主張)

 パソコン通信において知り得た情報を第三者に漏らすことは禁止されている(憲法21条2項)。被告は、OLTにおける本件会話の正当な受信者ではあるが、正当に知り得た通信内容であっても、その秘密を第三者に公表する行為は禁止されている(有線電気通信法)。

 被告は、本件掲示行為により、原告の通信の秘密を侵害した。

(被告の主張)

 憲法21条2項は、国家に対し、国民が行う通信を傍受するなどの侵害行為を禁止するものであり、私人の行為に適用がない。仮に、憲法21条2項が私人の行為にも適用されるとしても、被告は、OLTにおける本件会話の正当な受信者であるから、受信した本件会話内容の情報をいかに使用しようとも、原告に対し、通信の秘密を侵害したことにはならない。

4 著作権の侵害

(原告の主張)

 本件会話は、4時間半に及ぶ多岐のテーマにわたる原告、被告及び第三者を交えた真剣な議論であるから、本件通信記録は著作物に該当する。被告は、本件会話に参加した原告の許諾を受けずに、本件通信記録の内容を改変して電子掲示板に公表しており、原告の著作人格権(公表権、同一性 保持権)、著作財産権(複製権、有線送信権等)を侵害した。

(被告の主張)

 本件会話は、偶然居合わせた会員が、明確な目的のないまま、本件会話を公開してよいかどうかなどに関して、事実確認のための質疑等をやり取りしたにすぎず、「事実の伝達にすぎない雑報」である(著作権法10条2項)。したがって、本件通信記録は著作物ではない。

5 正当防衛ないし社会的相当行為

(被告の主張)

 仮に、被告の本件掲示行為が、原告に対する名誉毀損、プライバシー侵害、通信の秘密の侵害又は著作権の侵害に当たるとしても、被告は、本件掲示行為によって、PC−VAN会員全体の安全性を回復するため、パソコン通信の匿名性を悪用した原告の間題行動を他の会員に周知させ、警告したのであって、加入者による運用の自主性を確保すべきパソコン通信網において、対等の表現手段を有する他の会員の違法・不正な行為を摘示した被告の右行為は、正当防衛又は社会的に相当な行為に該当し、違法性が阻却される。

(原告の反論)

 争う。PC−VAN利用者全体の安全性の回復を図る行為は、PC−VAN運用の主催者である日本電気が行うべきものである。


次に続く
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掲載責任者:町村泰貴
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