PC−VANチャットログ無断掲載事件

第三 争点に対する判断

一 認定事実

 後記各証拠のほか、甲第二、第九号証、丙第二号証の一から四、第三、第四号証、原告及び被告各本人尋間の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1 原告は、PC−VANにおいて、SEB*****のIDを付与され、ハンドルネーム「PONYTAIL(ぽにいてーる)」のほか、「百舌鳥伶人」の名を用いてOLTなどを利用し、SIG(一定のテーマに関する情報の交換・提供等に使用される特定のデータ領域)の一つである「市民の討論広場」のアシスタントの一人としても活動していた。また、原告は、AI出版が発行する「月刊パソコン通信」誌において記事を執筆するなどコンピューター関係のフリーライターとして活動していた。

2 右近は、平成4年6月15日、PC−VANの電子掲示板の一つに、左記の内容を要旨とする掲示をした(丙第二号証の一)。

       記
 過日、OLTにおいて、THB*****のIDを有する会員が、私に対し、私や私の兄が他のネットで使用しているハンドルネームや職業などの個人的情報について、嘲弄的態度で、卑劣な嫌がらせの発言を執勘に続けました。

3 右掲示の直後から翌16日にかけての電子掲示板には、他のPC−VAN会員から、THB*****はポニーテールである、THB*****とSEB*****は同一人物が使用しているとの趣旨の掲示があった(丙第二号証の二から五)。これに対し、原告が、SEB*****のIDを用いて、電子掲示板に、私は右近が旧知の人物であるかを確認する目的で会話をしたにすぎないなど と掲示したので(丙第二号証の六)、同一人物がSEB*****とTHB*****のIDを使用していることが判明した。

4 その後、右近が、SEB*****及びTHB*****の各IDに対してメール受信拒否機能を行使したところ、原告は、同月一七日、右近に対し、SISIKAIのID及び「SIG司会」のハンドルネームを用いて、「受信拒否しちゃだめだよ」と題する左記の内容を要旨とする百舌鳥伶人名の電子メールを発信した(丙第二号証の九)。

    記
 ID(THB*****)の件については公開の場でやりとりすることはできません。このID(SISIKAI)は、複数のサブオペ(SIGを自主的に運営するPC−VAN会員)の共有物なので、ここに宛てたメールは私が開封するとは限らないことを前提としてお返事下さい。とにかく、私のIDの使い方は複雑怪奇なのです。

5 右近は、「月刊パソコン通信」編集部I宛てに、百舌鳥伶人からOLTにおいて嫌がらせを受けたが、彼が使用しているID(THB*****)はAI出版のものではないかという問い合わせの電子メールを発信し、同月19日、その返答を得た上、同月20日、電子掲示板に、「百舌鳥伶人氏のID不正使用について」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(丙第二号証の二二)。

    記
 百舌鳥伶人氏がIDを不正使用していたことについて、AI出版からのメールを引用します。
「ID番号THB*****について調査したところ、間違いなくAI出版が所有するIDでした。AI出版では、かって百舌鳥氏に原稿を依頼していた時期があり、百舌鳥氏は、そのころAI出版が貸し出したIDを無断で不正使用していたのですね。ID管理の杜撰さからこのような不祥事を招いたことを深くお詫び申し上げます。」

6 これに対し、原告は、同月20日、電子掲示板に、SEB*****のIDを用いて、右5の掲示が事実と違うところが見られること、「月刊パソコン通信」編集部幹部及びAI出版社長と協議をしていることなどを掲示した(丙第二号証の二三)。
 また、Iも、同日、電子掲示板に、当該IDがAI出版から百舌鳥氏に貸与されていたことは憶測にすぎず、貸与の事実はまだ確認されていないこ と、しかし当該IDがAI出版の所有であり、百舌鳥氏により長期にわたり不正使用されていたことは事実であることなどを掲示した(丙第二号証の二四)。

7 その後、電子掲示板では、前記5、6の事実関係をめぐって論争が繰り返され、会員から、原告に対し、納得のいく説明を求める声が多く揚がった。これに対し、原告は、ID使用について自分の方も多数の過失があったことは認めるが、ハッキングや賃借IDのルーズな使用などの故意性の強いものではない、右近やIは憶測だけで主張し、物的証拠を示していないのであるから、原告がこれ以上答える必要はないと掲示し、IDの具体的な入手方法は明らかにしなかった(丙第二号証の二五から三一)。

8 その後、AI出版は、代表取締役N及び編集局長Oの連名に より、同年7月17日、電子掲示板に、「PC−VAN会員の皆さまへ」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(丙第二号証の三二)。

    記
 この度、当社所有のID(THB*****)について、管理の不注意から不祥事を引き起こし、PC−VAN会員の皆さまに多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。THB*****のIDを用いる者によってOLTにおいて嫌がらせを受けたPC−VANの一会員から、「月刊パソコン通信」編集部I宛てに、右IDはAI出版のものではないかという問い合わせがあったため調査したところ、右IDは間違いなく当社所有のものであることが判明しました。また、OLTその他の使用状況から、右IDを使用した 者は、SEB*****のID及び「PONYTAIL」のハンドルネームを用いる人物であることが特定されてきました。
(PONYTAIL氏の説明)
 同氏は、6月20日、「月刊パソコン通信」編集部のスタッフと会い、このIDの入手経路について質疑応答し、次のように述べておられます。昨年秋、秋葉原で会った人物と、喫茶店でパソコン通信の話をした。できればIDを複数所有して違う人物を演じてみたいと思っていると述べると、自分が持っているIDを一万円で売ってもよいと言われた。PC−VANの「料金情報」を調ベ、一万円以上になったら差額分を振り込んでくれればよいということで、一万円を支払って、そのIDを買い取った。主にOLTなどで使用し、課金が一万円以上になったことは知っていたが、売主から電話はかかってこなかった。悪いとは思ったが、そのうちかかってくるだろうと軽く考え、そのまま使い続けてきた。
 使い始めたのは、買い取ってすぐ、昨年秋(10〜11月)からである。
 IDの名義がNであることは、「料金情報」の「利用実績」を見て知っていたが、AI出版の代表取締役の名であるとは知らなかった。このIDの売主の名前は覚えていない。電話番号は、当時はメモをとっていたが、今は紛失していてわからない。
(AI出版の社内調査)
 当社では、一年ほど前までPONYTAIL氏に原稿を書いて頂いていたことがあり、このとき何らかの必要から当該IDを貸し出していた可能性があります。この貸出の有無について社内調査致しましたが、貸し出したという事実は確認できませんでした。これは、現在の当社社員で貸出を記億する者がいないということであり、退職した社員につきましては、調査できておりません。
(本件に関するPONYTAIL氏の御意見)
 6月某日、同氏は、当社担当者と面会し、金銭による弁償を含め、自分の落度について全面的に謝罪したい、ただし自分にも釈明する機会を与えてほしい旨述べられています。
(本件についての当社の立場)
 まず、ID管理のルーズさから、PC−VANユーザーの皆さまにご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げなくてはなりません。THB*****のIDにより、嫌がらせを受けたという訴えにつきましては、これを厳粛に受け止め、幾重にもお詫び申し上げたく存じます。
 また、IDを不正使用されたという面からは、当社は被害者の立場にもなっております。この点は、PONYTAIL氏は落度を認められ、弁済と謝罪を申し出ておられますので、今後、氏と当社の間で、納得がいく解決を図っていきたく存じます。以上は、本件に関し、当社の把握する範囲内でのご報告であることを、重ねて申し上げておきたく存じます。

9 さらに、SIG「市民の討論広場」のオペレーターの二名は、平成4年7月26日から27日にかけて、電子掲示板に、「PONYTAIL氏をアシスタント解任」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(丙第二号証の三四、三五)。

    記
 PONYTAIL氏を平成4年7月26日付で当SIGのアシスタントから解任します。
 PONYTAIL氏は、平成3年秋ころから平成4年6月ころにわたって、AI出版所有のIDであるTHB*****を盗用し、OLTなどに使用していたという重大疑惑がかかっているのに、適切な対応をせず、信用を維持することができなかったことが解任の理由です。PONYTAIL氏の、証拠がないという理由付を最大の論拠とした応対は、証拠の残らない行為なら何をしてもよいというスタンスにすら解釈でき、適切な応対とはいえないと判断しました。

10 それから一年以上も経過した平成5年12月に至っても、電子掲示板において、PC−VANの会員らと原告との間で、不正使用に関する掲示が続き、会員からは、「AIは事の顛末を報告しているが、あなたからは黙秘だけ。」「誤認と言い張るなら、あなたの言い分を間かせてもらいたい。」などの要望があったが、原告は、なぜ私が命令されなければいけないのか、私に顛末を語る義務はないなどとして、これを拒否した(丙第二号証の三六から四四)。

11 以上のような経過をたどり、原告がAI出版の所有するTHB*****のIDを使用していた事実が明らかとなった。そして、原告は過失によるものであると弁解したが、IDの入手方法について説得力のある説明を行わないため、不正使用ではないかとの疑惑が強く残されたままとなった。

12 被告は、平成5年8月にPC−VANを利用し始めるまで、原告を全く知らなかったが、同年9月ころ、AI出版が電子掲示板に掲示した前記「PC−VAN会員の皆さまヘ」と題する掲示を読んだことを契機として、IDの不正使用問題に興味を持った。そして、以上の掲示を可能な限り集めて検討したところ、原告自身は具体的な事実を何一つ説明していないとの感想を持った。
 被告は、平成6年1月ころまでに二度にわたり、OLTにおいて、右疑惑に関して、原告との間で会話を交わしたが、その際、原告は、一対一でスクランブル(OLTにおいて同時刻に同じデータ領域にアクセスしている各会員が同意してその時点でアクセスしていなかった会員が同じデータ領域にアクセスできないようにする機能)をかけるなら右事件の真相を説明するなどと発言した。原告の右発言を受けた被告は、原告に対する疑惑は真実であると思うとともに、PC−VAN会員の公的な利害にかかわる原告の右疑惑については公開の場で議論されるべきであると考えた。

13 被告は、平成6年3月25日、OLTにおいて、原告との間で右疑惑に関して本件会話を交わした際に、本件通信記録を電子掲示板に掲示してもよいか許可を求め、ID間題の真相を聞きたいと尋ねた。しかし、原告は、これを拒否し、ID間題はでっち上げであって、その間題は解決済みである、第三者に答える必要は一切ないなどと述べることに終始したため、被告は、「多分犯人は貴方なのでしょう。AIの言うとおり。」と発言するなどした。 原告及び被告は、本件会話にスクランブルをかけておらず、本件会話の途中、約20人の会員がアクセスしたり、アクセスを終了したりした。なお、OLTにおいて、ある会員がアクセスしたときは、同時刻に同じデータ領域にアクセスしている各会員端末の画面上に、右会員のハンドルネーム及びアクセスした旨が表示され、アクセスを終了したり、異なるデータ領域にアクセスを変更する場合もその旨表示される。

14 被告は、同月30日、電子掲示板の一つに本件通信記録を適宜抜枠して掲示した(本件掲示)。なお、本件掲示は、IHSファイルという、そのままでは人間に読むことのできない記号列の形式で掲載されていたため、これを読もうとする者は、右メッセージを会員端末のディスクに一且保存した上で所定のソフトを用いて人間の読むことのできるテキストファイルに変換する必要がある。このようなことから、本件掲示の内容をどの程度の数の会員が現実に読んだのかは、全く不明である。

二 名誉毀損について

1 以上の事実関係によれば、本件掲示中の「多分犯人は貴方なのでしょう。AIの言うとおり。」という被告の発言は、「多分」「AIの言うとおり。」などの表現などに照らすと、原告がAI出版の所有するTHB*****のIDを不正使用したという事実そのものを摘示したものではなく、その点についての原告に対する疑惑が極めて濃厚であると評価し、表現したものと認めるのが相当である。
 しかし、本件掲示行為の当時において、原告が右IDを不正使用したとい う疑惑は、AI出版の前記「PC−VAN会員の皆さまへ」と題する掲示、右近の「百舌鳥伶人氏のID不正使用について」と題する掲示等が電子掲示板に掲示されたことに加え、原告の反論やその他のPC−VAN会員の前記のような発言が電子掲示板に多数回にわたり掲示されたことによって、不特定多数の会員が知ることのできる状態に置かれていたのであり、不特定の会員の間で極めて濃厚な疑惑として受け止められていたことは容易に推測される。しかも、本件掲示において、原告によるIDの不正使用に関する具体的事実は何ら摘示されていないこと、原告が右疑惑は事実ではないと反論していることがそのまま記載されていることなどに照らすと、本件掲示は、既にAI出版や右近等により電子掲示板に掲示された前記情報によって不特定の会員が知ることのできる右疑惑の具体的な内容に新たな事実を付加するもの ではなく、その掲示によって、疑惑の確度に対する従来の印象を超えて新たに原告に対する右疑惑を深めたとはいえない。したがって、被告の本件掲示行為によって原告の社会的評価が低下したということはできない。

2 また、仮に、被告の前記発言が、原告においてAI出版のIDを不正使用したとの事実を摘示するもので、本件掲示行為によって原告の社会的評価が低下したとみる余地があるとしても、PC−VANサービスにおいて、会員が他人のIDを使用して無責任な内容の発信を行った場合、他の会員に迷惑を掛けることとなり、右サービスの秩序ある運営を行うことが困難となることは明らかであつて、前記疑惑の真偽は、多数のPC−VAN会員の公共の利害にかかわるものというべきである。そして、原告と面識もなく、数回程度OLTにおいて会話を交わしたことがあるにすぎない被告が、私怨を晴らし、あるいは個人的利益を図るなどするために本件掲示行為に及んだというような事情はうかがわれないから、被告は専ら公益を図る目的をもって本件掲示行為に及んだものと認めるのが相当である。さらに、原告が、AI出版の所有するTHB*****のIDを入手し、これを用いてOLTを利用したことについてAI出版の承諾を得ていないことは明らかである上、AI出版及び右近が電子掲示板に前記認定のような掲示をしていたことや、右IDの入手経緯に関する原告の前記弁明はその内容が極めて不自然かつ不合理なものであることなどを考慮すると、これらを読んだ被告において、原告が右IDを不正使用したことが真実であると信じるにつき相当な理由があったというべきである。
 したがって、被告の本件掲示行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものであり、被告において、原告が右IDを不正使用したと信じるにつき相当な理由があったものと認められるから、違法性がない。

3 以上のとおり、被告の本件掲示行為は、原告の社会的評価を低下させるものではなく、原告に対する名誉毀損に当たらないとみるのが相当であるし、これが原告の名誉を毀損したものとみる余地があるとしても、その違法性は阻却されるので、原告の主張は理由がない。

三 プライバシー侵害について

1 原告がAI出版の所有するTHB*****のIDを不正使用したという疑惑は、不特定多数の会員が知ることのできる状態に置かれていたことは前記認定のとおりであり、本件掲示中の右疑惑に関する部分は、既にPC−VANの会員の間に公開されていた情報であり、被告の本件掲示行為によって初めて公開された情報とは認め難い上、本件掲示のその余の部分については、法的保護に値する個人的情報が含まれているわけではない。そして、本件会話の途中で、約20名の不特定の会員がアクセスしたことを原告は認識することができたにもかかわらず、本件会話を終了することなく継続し、スクランブルをかけなかったことは前記認定のとおりであり、原告は、OLTにおける公開性の限度において、本件会話を不特定人に公開された場で行い、かつ、これを容認していたものというべきである。これらの事実関係に照らすと、被告が原告の明示の意思に反して本件掲示行為に及んだことは、その当否は疑問であるとしても、これが、原告のプライバシーを侵害し、不法行為を構成するとまではいえない。

2 以上のとおり、前記疑惑に関する部分は被告の本件掲示行為によって初めて公開された情報ではなく、また、原告は本件会話を不特定人に公開された場で行い、かつ、これを容認していたことに照らし、被告の本件掲示行為が原告のプライバシーを侵害したとまではいえない。

四 通信の秘密の侵害について

 被告は、本件会話の当事者であり、本件掲示行為は、通信の当事者以外の第三者が通信の秘密を犯す行為ではないから、右行為は、憲法上保障される通信の秘密とはかかわりがなく、また、有線電気通信法が禁止する行為でもない。この点に関する原告の主張は失当である。

五 著作権の侵害について

 本件通信記録は、OLTを利用して交わされた会話文であって、その内容は日常の会話と特段異なると認められる点がなく、文芸、学術の範囲に属するものとは到底認められない。したがって、本件通信記録は著作物に当たらないので、被告の本件掲示行為は、何ら原告の著作権を侵害するものではない。

 以上のとおり、被告の本件掲示行為は、原告に対する名誉毀損、プライバシ−侵害、通信の秘密の侵害又は著作権の侵害の不法行為を構成するものとは認め難いので、その余の点について判断するまでもなく、原告の主張は理由がない。

第四 結論

 よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事35部

裁判長裁判官 瀧澤泉
   裁判官 綿引万里子
   裁判官 片山智裕


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掲載責任者:町村泰貴
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