最判昭和52年3月15日

民集31巻2号234頁(昭46(行ツ)52号)280頁(昭46(行ツ)53号)
百選2

(事実)

 国立富山大学経済学部の学生X16は、A教授の経済原論を履修し、試験を受けてA教授による合格の判定を受けた。そしてA教授が同学部長Y1に成績表を提出したところ、単位認定をしないとされた。また同学部専攻科学生X7もA教授のゼミ・研究指導を受けて合格の判定を受けたにも関わらず、専攻科修了の認定を受けられなかった。

 そこでX16は、学部長Y1および学長Y2に対して、単位認定をしないことの違法確認等の訴えを提起し、またX7も同様に単位認定をしないことの違法確認に加え、修了認定をしないことの違法確認等の訴えを提起した。

 一審はすべての訴えを不適法として却下したが、原審はX16について訴え却下を維持したものの、X7については一審判決を取り消して差し戻す判決を下した。そこでX16(52号事件) とY1およびY2 (53号事件) がそれぞれの敗訴部分に上告した。


昭46(行ツ)52号

(判旨)

上告棄却

 「裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが( 裁判所法三条一項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。

 すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である(当裁判所昭和三四年(オ)第一〇号昭和三五年一〇月一九日大法廷判決・民集一四巻一二号二六三三頁参照)。そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。

 そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の単位制度については大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)がこれを定めているが、これによれば(ただし、次に引用の条文は、いずれも昭和四五年文部省令第二一号による改正前のものである。)、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが(二八条)、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(二五条、二六条)、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(三一条)、右教育課程に従い大学に四年以上在学し所定の授業科目につき合計一二四単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(三二条)、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。所論は、現行法上又は社会生活上単位の取得それ自体が一種の資格要件とされる場合があるから、単位授与(認定)行為は司法審査の対象になるものと解すべきであるという。しかしながら、特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、そのような場合はいまだ極めて限られており、一部に右のような場合があるからといつて、一般的にすべての授業科目の単位の取得が一般市民法上の資格地位に関係するものであり、単位授与(認定)行為が常に一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。そして、本件単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、上告人らはなんらの主張立証もしていない。

 してみれば、本件単位授与(認定)行為は、裁判所の司法審査の対象にはならないものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、結局、正当である。」


(昭46(行ツ)53号)

(判旨)

原判決一部破棄自判、一部上告棄却

 「思うに、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学を利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的として設置されるものであり(学校教育法五七条)、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。

 (中略)論旨は、また、専攻科修了の認定は、大学当局の専権に属する教育作用であるから、司法審査の対象にはならないと主張する。しかしながら、富山大学学則六一条によれば、前述のように、一年以上の在学と所定の単位の修得とが同大学の専攻科修了の要件とされているにすぎず(ちなみに、大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)三二条によれば、大学の卒業も、四年以上の在学と所定の単位一二四単位以上の修得とがその要件とされているにすぎない。)、小学校、中学校及び高等学校の卒業が児童又は生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする優れて専門的な価値判断をその要件としている(学校教育法施行規則二七条、五五条及び六五条参照)のと趣を異にしている。それゆえ、本件専攻科の修了については、前記の二要件以外に論旨のいうような教育上の見地からする価値判断がその要件とされているものと考えることはできない。そして、右二要件が充足されたかどうかについては、格別教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではないから、司法審査になじむものというべく、右の論旨もまた、採用することができない。」


判例評釈・解説

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