X(当時三才)は、化膿性髄膜炎のため昭和30年9月9日Yの経営する東京大学医学部附属病院小児科へ入院し、医師Aらの治療を受け、次第に軽快してきたが、同月17日午後零時30分から1時頃までの間にAによりルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入、以下「本件ルンバール」という。)の施術を受けたところ、その15分ないし20分後突然に嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、右半身けいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同年11月2日退院し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等がある。
一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、Xの昼食後20分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当のA医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。そして、右施術は、嫌がって泣き叫ぶXに看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ、A医師によって実施されたが、一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約30分間を要した。
このような事実関係のもとで、原審は、もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められたXに対し右情況のもとで本件ルンバールを実施したことにより脳出血を惹起した可能性があること、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断されること、本件発作後少なくとも退院まで、主治医のB医師は、その原因を脳出血によるものと判断し治療してきたこと、化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められないという事実を確定しながら、なお、本件訴訟にあらわれた証拠によっては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難いとし、また、本件発作とその後の病変の原因が本件ルンバールの実施にあることを断定し難いとしてXの請求を棄却した。
「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」
上記の事実関係を、因果関係に関する前記見地にたって総合検討すると、「他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに因って発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。」
「したがって、原判示の理由のみで本件発作とその後の病変が本件ルンバールに因るものとは断定し難いとして、上告人の本件請求を棄却すべきものとした原判決は、因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかであるから、論旨はこの点で理由があり、原判決は、その余の上告理由についてふれるまでもなく破棄を免れない。そして、担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。」