Xは、昭和38年に八王子の山林を購入し、その一部を妻との共有名義に登記し、残部を当時同棲中のYの名義に移転登記をした。その後XとYは不和となり、子どもができた後にXは出ていった。そしてYに本件土地の登記名義を返すよう要求した。
Yは、気性の激しいXと直接交渉するのを嫌い、横浜や名古屋などに引っ越したが住民登録の変更はせず、時々は親戚に連絡したり、月に一回程度はXの代理人A弁護士に自ら電話をして本件土地の交渉を継続したが、その際も自らの居所は明らかにしなかった。
本件土地をめぐる交渉はXが買い取るか他の土地と交換する方向で進んだが、X側からYへ連絡がとれず、調停の申立もYへの連絡がつかないため取り下げることとなった。しかし調停取下げの前にYは自ら上京してA弁護士らと面会し、本件土地の鑑定書面の写しを渡されてその検討を求められ、本件土地の代替地を確保することを同弁護士らが約束すれば提案に応じてもよい、同年8、9月ころまで外国に行っている旨を話したが、この時もYは連絡先を教えなかった。
Xは平成元年4月25日、A弁護士らを訴訟代理人として、Yに対し、真正な登記名義の回復を原因とする本件土地の所有権移転登記手続を求める本訴を東京地方裁判所八王子支部に提起し、期日呼出状及び訴状副本を元の住所である丙川荘に送達する手続がとられたが、転居先不明のため送達不能となった。そこでX側は転居先不明の疎明資料を添付して公示送達の申立てをし、同年7月3日これが許可された。なおYの子どもBが同年六月ころ、Xあてに、Yは同年8、9月に帰国し、その後は中野区内の叔母方に住民票の住所を移す予定である旨記載した書面を送付していた。